こんなご相談がありました

これまでにご相談のあった内容の中から、一部をご紹介します。
< ご相談例・1 >
「父のお墓は故郷、沖縄で」(神奈川県在住)
父はもともと佐敷の出身で、「お墓は沖縄に」という遺言を残していました。父のお墓を探すため、沖縄にいる親戚に資料を集めてもらい、そこで中城メモリアルパークのことを知りました。詳細は財団法人沖縄県メモリアル整備協会のWEBサイトで調べました。私は、内地生まれのため、沖縄の事情がよくわからず、休みを利用して中城メモリアルパークの見学に行くことにしました。
現地に行って驚いたことは、そのロケーションでした。沖縄の美しい海がどの角度からも見渡すことができ、まさにパノラマビューです。園内が清潔で使いやすく維持、管理されていました。父から沖縄のお墓のことは聞かされていたので、うっそうとした山の中にあるのだろうと思っていただけに驚きました。
その時、「海の見えるところがよいな」という父の言葉を思い出したのです。
その日は、親戚と相談し、翌日、さっそく予約を入れて神奈川へ帰りました。その後は仕事が忙しく、メールのやりとりだけで、沖縄には行くことができませんでしたが、完成確認の時に見たお墓の出来映えには感激しました。この時には、母も一緒に来たのですが、父が生前冗談で「自分の墓はこんなとこがよい」といっていた場所そのものだと、母がびっくりしていました。本当に沖縄にお墓を建ててよかった、距離が離れていても想いが通じお墓を建てることができるんだと心から喜んでいます。
現地に行って驚いたことは、そのロケーションでした。沖縄の美しい海がどの角度からも見渡すことができ、まさにパノラマビューです。園内が清潔で使いやすく維持、管理されていました。父から沖縄のお墓のことは聞かされていたので、うっそうとした山の中にあるのだろうと思っていただけに驚きました。
その時、「海の見えるところがよいな」という父の言葉を思い出したのです。
その日は、親戚と相談し、翌日、さっそく予約を入れて神奈川へ帰りました。その後は仕事が忙しく、メールのやりとりだけで、沖縄には行くことができませんでしたが、完成確認の時に見たお墓の出来映えには感激しました。この時には、母も一緒に来たのですが、父が生前冗談で「自分の墓はこんなとこがよい」といっていた場所そのものだと、母がびっくりしていました。本当に沖縄にお墓を建ててよかった、距離が離れていても想いが通じお墓を建てることができるんだと心から喜んでいます。
< ご相談例・2 >
「永代供養墓まじゅんとの出会い」(栃木県在住)
私は沖縄生まれです。二人姉妹なのですが、どちらも内地に嫁いだので、父とは離れて暮らしていました。先に母を亡くし、父も亡くなりましたので、お墓の面倒は自分たちで見なければと考えていました。沖縄に頼る親戚もおらず、インターネットで調べているうちに「永代供養墓まじゅん」のことを知りました。資料を取り寄せ、メールや電話で何度もやりとりしました。父と離れて内地で暮らし、沖縄の風習もよくわからない私たちにとって、沖縄で骨を埋めたい父の願いを叶えるには、お墓の維持、管理から供養までを行ってくれる永代供養墓がよいのではと考えるようになりました。まして、信頼できる財団法人が運営している永代供養墓ならと泡瀬メモリアルパークにある「永代供養墓まじゅん」で、父の願いを叶えることに決めました。
内地での暮らしがある私たちにとって、沖縄に帰ることは大変なことです。沖縄に行き、契約を行い、その日に納骨するために、いったいどうすればよいのか、本当に悩んでしまいましたが、沖縄に行く日程を決めると、スタッフの方が契約から納骨までを全て1日で執り行える様に手配していただけました。こちらの協会には、大変お世話になりました。これからも、父のお墓のことをよろしくお願いします。
内地での暮らしがある私たちにとって、沖縄に帰ることは大変なことです。沖縄に行き、契約を行い、その日に納骨するために、いったいどうすればよいのか、本当に悩んでしまいましたが、沖縄に行く日程を決めると、スタッフの方が契約から納骨までを全て1日で執り行える様に手配していただけました。こちらの協会には、大変お世話になりました。これからも、父のお墓のことをよろしくお願いします。
< ご相談例・3 >
「息子を慕って沖縄に」(東京から沖縄へ移住)
仕事の関係で沖縄に住んでいた息子は、沖縄での暮らしを大変気に入っていました。沖縄に永住すると言い始めてから20年近くになります。仕事も家族も安定し、今ではすっかり「しまんちゅ」になっています。
私は、主人と東京で暮らしていたのですが、主人が亡くなり、私一人で東京に暮らすには、寂しくもあり、大変でもあります。それで、私も沖縄に永住することに決めました。せっかくなので、主人の遺骨も一緒に沖縄に連れて行こうと思ったのです。息子が20年近く住んでいるからといっても、風習や習慣が違い、気候も違う沖縄で私がずっと住み続けることの不安もありました。そんな中、息子とのお墓探しが始まり、(財)沖縄県メモリアル整備協会の方に出会って状況が一変しました。
沖縄式のお墓しか建てることができないと思っていたのですが、内地式の立派なお墓を、中城メモリアルパークの見晴らしのよい高台に建てることができました。東京から来て、住まいの整理も着かない状態でのお墓を探していたので、本当に色々悩みました。でも、納骨を終え、私もここで一生を送るんだという決心がつきました。息子たちの家族同様、私も「しまんちゅ」になれる日を楽しみにしています。
私は、主人と東京で暮らしていたのですが、主人が亡くなり、私一人で東京に暮らすには、寂しくもあり、大変でもあります。それで、私も沖縄に永住することに決めました。せっかくなので、主人の遺骨も一緒に沖縄に連れて行こうと思ったのです。息子が20年近く住んでいるからといっても、風習や習慣が違い、気候も違う沖縄で私がずっと住み続けることの不安もありました。そんな中、息子とのお墓探しが始まり、(財)沖縄県メモリアル整備協会の方に出会って状況が一変しました。
沖縄式のお墓しか建てることができないと思っていたのですが、内地式の立派なお墓を、中城メモリアルパークの見晴らしのよい高台に建てることができました。東京から来て、住まいの整理も着かない状態でのお墓を探していたので、本当に色々悩みました。でも、納骨を終え、私もここで一生を送るんだという決心がつきました。息子たちの家族同様、私も「しまんちゅ」になれる日を楽しみにしています。
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